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現実とフィクションの登場人物が結びついていた時代へ。

もしもタイムマシーンがあったなら――。誰もが一度はする想像だと思いますが、倉田容子先生が行ってみたいのは「明治初期の日本」。その理由について、丁寧に語っていただきました。

倉田 容子先生

文学部国文学科准教授。明治から現代までの小説を対象に研究を重ねる。文学作品と触れ、さまざまな時代の民族、国籍、年齢、宗教、性別、性的指向など、自分と異なる世界の広がりを感じることが大切と話す。著書に『語る老女 語られる老女――日本近現代文学にみる女の老い』(學藝書林)など。

明治初期は
文学と政治の距離が近かった

今回は、「もしタイムトリップできるなら、どの時代に行ってみたいか」というテーマをメインにお話をうかがえればと思います。
倉田 容子先生
よろしくお願いいたします。
インタビュアー
過去でも未来でも結構ですが、先生はどの時代に行きたいですか?
倉田 容子先生
明治初期の日本に行ってみたいですね。私の専門は日本の近代文学なのですが、近年とくに明治期の「政治小説」に興味をもっているので、それらの作品が当時どのように受容されていたのかを知りたいです。
インタビュアー
政治小説は今ではあまり聞きなれないジャンルですが、どういったものなのですか。
倉田 容子先生
日本文学史における政治小説とは、自由民権運動を喧伝するために書かれた小説を指します。読者にとっては、政治という未知なる世界を知るための扉のような役割を果たしていたように思います。
インタビュアー
政治小説を書いていた作家で、思い入れのある方は誰になりますか。
倉田 容子先生
とくに関心をもっているのは宮崎夢柳(むりゅう)ですね。政治小説の書き手は現代の私たちがイメージする作家とは少し違っていて、夢柳もあくまで自由党の志士なんです。小説を書くだけでなく、政談演説や遊説を行い、それを記事にする、ジャーナリストという側面も持っています。
インタビュアー
夢柳の作品の特徴は?
倉田 容子先生
彼の小説には、政治思想のために身命を賭して闘う佳人(美しい女性)が登場します。今で言う“戦闘美少女”のような存在といってもいいのではないかと思っています。私はもともとジェンダーの問題に関心があって、その女性像に何か惹かれるものがあるんです。
インタビュアー
戦闘美少女!『美少女戦士セーラームーン』やプリキュアシリーズに代表されるような、フィクションに登場するストックキャラクターの一種ですね。
倉田 容子先生
夢柳は、政治という公的領域で活躍する女性を小説に数多く登場させました。『鬼啾啾(きしゅうしゅう)』という続き物(新聞連載小説)の人気が高かったのですが、この作品の新聞連載時には、女性が男性権力者を暗殺する場面や、華麗に逃亡する場面、また苛烈な死を迎える場面などの挿絵が付されました。挿絵は幕末~明治の人気浮世絵師・月岡芳年(よしとし)が描いたものなんですよ。
インタビュアー
政治にまつわる文学作品に人気があったということは、現代と比べると、市井の人々にとって政治が身近だったということでしょうか。
倉田 容子先生
というよりは、文学と政治、虚構と現実の距離が今よりずっと近かったのではないかと思います。明治20年代以降になると、小説に登場する女性は家庭や恋愛などの私的領域で描かれることが大半になるので、夢柳が小説を書いていた時代は特殊な一時期だったと言えるかもしれません。

音読文化と想像力

インタビュアー
そんな政治小説を、人々はどのように読んでいたのでしょうか。
倉田 容子先生
徳冨蘆花の自伝的小説『思出の記』によると、当時は政治小説を音読して物語を共有することがあったようです。小説の読まれ方に公共性があったのでしょうね。
インタビュアー
それは面白い。黙読とは異なる文化が主流だったわけですね。
倉田 容子先生
そうですね。あとは、先ほど申しあげたように、フィクションと現実の区別がついていないというか、その境界が非常に曖昧だったのではないかと推測されます。
インタビュアー
何か例があるようでしたら教えてください。
倉田 容子先生
たとえば、大阪事件の紅一点として知られる女性活動家・思想家の景山英子(後の福田英子)は、清水太吉(独善狂夫)なる人物の書いた『景山英女之伝』をはじめ、小説や壮士芝居のヒロインとして描かれることが多くありました。それらの物語は、真実と虚構の入り混じった内容で、少し美化もされてもいます。
インタビュアー
100%の真実が描かれていたわけではなかった、と。
倉田 容子先生
はい。景山英子は物語を通して“東洋のジャンヌ・ダルク”的な存在として受容されました。そのため、彼女が恩赦によって釈放されたときには大勢の人が駆け付け、立錐の地もないほどであったそうです。つまり、物語のヒロインと同一視されている可能性が高かった。
インタビュアー
なるほど。虚構と現実の間にいる意味では、現代の日本のアイドルとも似ていますね。
倉田 容子先生
景山英子に関してはその通りだと思います。大阪事件で多くの人を熱狂させるアイコンとなった点。そしてその後、大阪事件の中心人物である大井憲太郎と関係を持ち、一子をもうけるのですが、英子だけに非難が集まった点も、今日の女性が置かれている状況とよく似ています。
インタビュアー
昨今も似たようなケースが少なくありません。
倉田 容子先生
現代の女性芸能人や女性政治家に関する報道を見ても、あるいはSNSで展開された“MeToo”運動の一連の告白を読んでも、女性が公的に活動しつづけることの難しさを通感させられます。ヒロインとして崇拝される一方で、理想像から外れると容易に非難される。明治も今日も同じだと思います。

小説の研究に必要なのは
主体性と緻密さ

インタビュアー
先生の授業やゼミでは、明治の文学についてどのようなことが学べるのでしょうか。
倉田 容子先生
ゼミの演習の授業では、樋口一葉の『たけくらべ』を扱っています。各章をひとりずつ割り当て、わからない言葉に丁寧に語釈をつける作業から始めてもらいます。
インタビュアー
やはり、自主性が大切になりそうですね。
倉田 容子先生
そうですね。高校の授業とは違い、大学では主体的に調べて学ぶ姿勢が大切になります。ただ教えを受けるという姿勢では、知識も、批判的思考力も、身につきません。
インタビュアー
これまで教えてこられたなかで、印象的だった学生はいますか?
倉田 容子先生
『たけくらべ』の最後に“水仙の作り花”が出てくるのですが、ある学生さんは、一葉が古典や江戸と地続きの文芸に造詣が深かったことに注目し、近代以前、とくに江戸の俳諧において水仙の花がどういう記号性を持っていたかを調べてくれました。
インタビュアー
熱心な方ですね。
倉田 容子先生
そこまで調べてもらえると、先行研究で言われている内容と解釈が随分変わります。その子が卒業のとき、「読んで調べて書いてを延々繰り返した大学生活でした」と言ってくれたのですが、私はそれがすごくうれしかったです。
インタビュアー
とてもいい話です!学生との交流も盛んなのでしょうか。
倉田 容子先生
はい、おすすめの作品を教えてもらったり、学生さんから二次創作や2.5次元について話を聞いたりしています。私の時代と比べると、ネットなり現場なりで人とつながって、物語に触れる子が多いし、そういう媒体が増えているように感じます。
インタビュアー
現場というのは、コミケなどでしょうか。
倉田 容子先生
コミケもそうですし、文学フリマや一箱古本市といった場もそうですね。デジタル化が進む一方で、本を通してつながろうという媒体もかつてに比べて増えていて、本の読み方、本を通した人と人との交流の仕方が変わってきている気がします。
インタビュアー
明治期の物語の受容の仕方と比較しても面白そうです。
倉田 容子先生
そうですね。学生さんには物語と様々な形で触れ合ってもらいたいし、大学での学びも楽しんでもらいたいと思います。小説には、同時代の社会で流通していた言語表現や約束事が入り込んでいます。授業やゼミでは、それらを一人ひとりが主体的かつ緻密に調査することで、趣味で読んでいただけでは分からない、物語を解き明かす楽しさを感じられると思います。
インタビュアー
今日はありがとうございました!

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