NOZOKIMI LAB

恋煩いは妄想のひとつ。せずにいられないものです。

深淵なる仏教の話を、飄々とした語り口で丁寧に説明してくれる木村誠司先生。
老いも若きも誰もが経験したことがあると思われる恋煩いについて、仏教的な観点から詳しく解説していただきました。

木村誠司先生

駒澤大学卒業、駒澤大学大学院修了(仏教学修士)、駒澤短期大学専任、駒澤大学仏教学部教授。研究のテーマは、アビダルマ思想史(世親(ヴァスバンドゥ)・ディグナーガ・ダルマキールティの思想)。ゼミでは倶舎論の思想状況、書誌的情報等様々な角度から考察している。

人は恋煩いから逃れられない生き物である

インタビュアー
今日は「恋煩い」をテーマにお話を伺えればと思います!
木村誠司先生
わかりました。よろしくお願いいたします。
インタビュアー
仏教的な視点では、恋煩いをどのように解釈しているのでしょうか。
木村誠司先生
恋煩いは、人間に特有の現象です。恋をすると頭の中でいろいろと想像して一喜一憂します。つまりは、妄想と言い換えることもできるはずです。そんな妄想を考察する仏教は「唯識(ゆいしき)」と呼ばれています。
インタビュアー
唯識について詳しく教えてください。
木村誠司先生
唯識思想は、簡単にいってしまうと、「いま見ているものはすべて夢の世界の出来事である」という考え方です。たとえば、眠っている間に見る夢は、覚めたとたんに「あれは夢だったか」と気づくものですよね?
インタビュアー
そうですね。意識が現実に引き戻されます。
木村誠司先生
それと似たような感覚で、仏教では妄想から目覚めることを「悟り」とします。逆をいえば、妄想している間は、夢を見ている状態と同じともいえる。つまり、恋は夢の中の話、非現実的な話である、ということですね。
インタビュアー
先生からすれば非現実的かもしれませんが、生身の人間として感じる恋煩いの辛さはいかんともしがたいものがあると思います。克服する術はあるのでしょうか。
木村誠司先生
そこで「ある」と答えるのが仏教です。けれど、現実的には恋煩いの辛さは否定できません。もし私が学生から恋煩いの相談を受けたとしても、できることは一緒にお酒を飲むくらいで、解決に導くのは難しいでしょう(笑)。
インタビュアー
今のお言葉でぐっと親近感が湧きました(笑)
木村誠司先生
仏教には、「虚妄分別(こもうふんべつ)」というキーワードがあります。意味は「不自然な妄想」ですが、「人間は妄想から逃れられない生き物である」という教えでもあります。人は恋煩いをせざるを得ない構造になっているんです。
インタビュアー
なるほど、恋煩いは意思の力では止められるものではない、と。
木村誠司先生
ただし、仏教の教えには妄想はそのままにしておいても良いとは書かれていません。本人に気づかせるのが務めである、とされています。ちょっと理屈っぽいですけど、このあたりが仏教の面白いところです。

芸能や文学には妄想と付き合うヒントがある

インタビュアー
人間が妄想である恋煩いから逃れられないということはよくわかりました。では、逃れられないながらも恋煩いと上手に付き合っていくヒントはないのでしょうか。
木村誠司先生
日本の伝統芸能の一つに「能」があるのはみなさんご存知だと思います。じつは能は、妄想が大きなテーマになっていて、最後はその克服で幕を閉じます。そのストーリーの背景に、仏教の教えが潜んでいるんです。
インタビュアー
それは知りませんでした!
木村誠司先生
能の大成者である世阿弥は、奈良の興福寺の庇護を受けていました。興福寺で学ばれていた仏教は、人の心を探る教えです。その影響で、能の舞台では、先ほど申し上げた虚妄分別から抜け出す道も示唆しています。
インタビュアー
仏教はいろいろなジャンルに影響を及ぼしているのですね。
木村誠司先生
能だけではなく、さまざまな分野で仏教をテーマにした作品を発表している人がいます。文学の世界で有名なのは、三島由紀夫の『豊穣の海』という作品です。この作品の中心となる主題は、先ほどお話しした唯識です。
インタビュアー
三島は唯識を文学でどのように表現したのですか。
木村誠司先生
簡単にいえば「生まれ変わり」をテーマに、真実と妄想についての答えを追求していくのです。ある文芸雑誌には、ドイツ生まれの物理学者アインシュタインとインドの詩人で思想家のタゴールとの会話と絡め、この『豊穣の海』を評する文章が掲載されました。
インタビュアー
それはどのような内容なのですか。
木村誠司先生
アインシュタインは「自分が見ていない瞬間にも月はある」と話すのですが、タゴールは「月を見ている瞬間、つまり、人間の意識の中にしか月は存在しない」と主張しました。このふたりの「存在論」は『豊穣の海』に通ずるものがある、という内容です。
インタビュアー
仏教の妄想の考え方に近いですね。
木村誠司先生
あまり堅苦しく考えず、興味を持ったら読めばいいと思います。人間の「認識」を深く考察している小説なので、自分と対話をするヒントが見つかるかもしれません。

新しい視点は思い悩むことで生まれる

インタビュアー
認識や自分との対話という話が出てきたので伺いたいのですが、先生は「自分の意識」をどのようにとらえていますか?
木村誠司先生
仏教の教えではおおまかに、獣のような状態、ニュートラルな状態、悟りを開いた状態の三通りに分けています。この三つの段階は相互に関係していて、切り離されているわけではありません。
インタビュアー
同じひとりの人間も、状態が変化するわけですね。
木村誠司先生
そうです。つまり、人間は変化をしていく生き物であり、自分の見方を変えることができるということです。今、恋に悩んでいる人がその状態を脱して、「私もいい経験ができたな」と思えるようになったら、大きな変化ですよね。まさに悟りを得るわけです。
インタビュアー
たしかにそうですね。
木村誠司先生
大きな変化ではあるけれど、同じひとりの人間であることに変わりません。そして自分を俯瞰し、これまでと異なる視点を獲得した経験は、別のシーンでも役立てられる。つまり悟りのアナロジーであると言えます。
インタビュアー
おお、非常にわかりやすいです!
木村誠司先生
ただね、私自身、これだけ長く生きていても物事を俯瞰するなんてできやしません。大病を患ってしばらく休み、10年前に復職しましたが、今も酒はやめられませんし(笑)
インタビュアー
それは意外です。妄想ではなく煩悩でしょうか(笑)
インタビュアー
人間なんて、そんなもんです(笑)。そういう生きものだからこそ、いつの時代も仏教や唯識論が脚光を浴びるのだと思います。私は若い時分から『倶舎論』や『成唯識論』を読み続けていますが、未だに多くの発見がありますよ。
インタビュアー
懐の深い学問だから、学生に有意義な気づきをもたらしそうですね。
木村誠司先生
そうですね。恋煩いだけでなく、いろいろな妄想から抜け出す道を示してくれる教えではあると思います。関心がある人には、ぜひ学んでほしいです。
インタビュアー
今日は含蓄のあるお話をありがとうございました!

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