先輩たちのその先のステージ

KOMAZAWA Next Stage

駒澤で得た、学び続ける力で
古書街に新しい風を

纐纈 くり さん
1999年3月卒業
文学部 国文学科 
→ 東京 神田神保町 大屋書房 四代目店主

本を読むことが好きという理由で国文学科に
在学中は、高田知波先生のもとで樋口一葉論など日本近代文学を学んでいました。「現代小説研究会」という高田先生の課外ゼミに在籍し、村上春樹や大江健三郎、吉本ばなななど、自分たちの好きな作家の作品についてみんなでディスカッションするという活動をしていたり、卒論も村上春樹だったほど現代文学が好きでした。受験の際は、本を読むことがただ好きというだけで国文学科に入りたかったのですが、自分の家業をいずれは継ぐのだろうなというところも念頭に置いてはいたと思います。

百年以上続く、古書店の四代目に
大屋書房は、江戸時代の和本、古地図、浮世絵版画の専門店で、曽祖父が明治15年に創業をして、私で四代目になります。神保町で生まれ育ち、昔から本を読むのが大好きで、祖父母だけでなく親戚の人たちみんなが本を買ってくれる環境で、幼少期から読む本には事欠きませんでした。小さい頃から父に浮世絵の展覧会に連れていってもらったり、古書に触れる機会があり、当時は何でこんなところに……と思ったこともありましたが、やはり父の姿を見て仕事を手伝うようになり、もともと本は好きですし、自然に四代目の自覚をしていった、ということかもしれません。

大屋書房で扱う浮世絵は資料的な意味合いの方が強いんです。どんな浮世絵にもストーリーがあってそれを読み解くのも楽しいですし、例えば夏を描いた浮世絵に、江戸の風物詩だった朝顔の植木売りや、川遊びのために隅田川に大勢の人が集まり花火も行われていた様子が描かれ、浮世絵にはその当時の文化や生活が反映されています。
この仕事を始めた当時は戸惑うこともありました。第一に、この業界において女性が跡を継ぐということは多くはなかったので、「大変ですね」とその当時はよく言われました。本屋を継ぐかどうかで悩んだ時は高田先生に何度も相談に乗っていただいて色々アドバイスをいただきました。父には、「まあ好きなことをやってみなさい」と何度も言われました。
実は、受験する大学の条件として「国文学科がある」の他に「野球が強い」というものがありました。授業が終われば硬式野球部の応援に行ったり、飲みに行ったり……卒業旅行もブルペ(應援指導部ブルーペガサス)に交ざって行くほど、野球漬けの大学生活を送っていました。今は状況的に気軽には会えないですが、大学でできた友人は生涯の友と言えるほど今でも仲良いですよ。もちろん高田先生とも年に何回かは連絡を取っていますし、今こうして古書店の四代目をしているのも、先生に出会えたことが大きかったです。

歴史ある神保町に新しい風を
私が手がけて出版した「妖怪カタログ」は妖怪に関する古書の目録です。二十数年前、若い人を神保町に呼ぶために何かないかと考えた時に、当時はまだ高額ではなかった妖怪の浮世絵や絵巻が、市場にも出てきていた時代でしたので、妖怪を足がかりに古書文化を知ってもらえるのではないかと思い、カタログを作りました。父の時代、妖怪ものは価値の高くないものだったので、大屋書房で扱うことに父もすごく葛藤があったのではないかと思いますが、後から聞けば父も祖父と違うことをやりたいと思い、古地図を集めたそうなんです。
大屋書房だけでなくこの神保町全体が、受け継がれるものは大切に残しながら新しい考え方を少しずつ取り入れ、古書の魅力を後世に残すために取り組んでいます。
古書店の仕事は、一生勉強です。勉強という言葉が好きではなかったんですが、やはり、楽しいことは頭に入ってくるんですよね。学びたい、知りたいという欲求はこの仕事を続ける上でなくならないと思いますし、目利きというのは言葉で教えられて覚えるようなものではないので、身をもって学ぶより他ありません。
学生のみなさんには、今だからこそ好きな本をたくさん読んでほしいと思います。大人になってから読むと、感じ方も全然違うこともあり、一番多感な時期に本に触れることがいかに大切だったのか後になって気付かされます。あとは、若いからこそ好きなことができるんだから失敗を恐れずに何でも挑戦してほしいですね!

好評のため、第二弾まで出版されている「妖怪カタログ」。装丁や紙選びにも纐纈さんのこだわりが込められている。

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