「AI>人間の脳」それでも残るもの
2045年にはAIが人間の知能を超える「シンギュラリティ」
今の時代はまだAIはさまざまな選択肢を提示してくれて、選ぶのは人間というケースが多いです。今、まさに駒沢大学に入学しようとすることも複数ある選択肢のひとつかもしれませんが、20年後なら皆さんや皆さんのご家族が行っているさまざまなことがらは自動化され、いろいろな選択そのものをAIが決めてくれる時代になっているかもしれません。
そうなると、もはや判断すること自体、人間の脳を働かせる必要もなくなってきそうですが、そうした「AI任せ」が生活のかなりの部分で実現するにしても、そのことに伴うリスク、つまりは選択を「AI任せ」にしてしまった結果、不幸になるという可能性もゼロではないはずです。
例えば自動運転は非常に近い未来に実現するであろう「AI任せ」の例といえます。自動運転に任せた結果、自動車事故が起こった場合に、その責任は自動車メーカーにあるのか、AIを開発したプログラマーや研究者にあるのか、それとも完全に自動運転に任せきっていた“ドライバー”(←運転自体はしていないので括弧付き)にあるのかという問題は、法律の問題として今盛んに議論されています。
新たな技術が興っても、必ず損をする人はいます。そうした損をどのように関係者が負担して損した人を救済するのか、あるいはそもそも救済すべきなのかどうなのかという問題は、紀元前以前からの法学的な問題です。そしておそらくはその問題自体は、AI支配の世の中でもなお人間の脳による判断に残されることでしょう。
法学部: 井上 健一(商法)