仏教学部
仏教は恋煩いも妄想とします
恋は、人間に特有な現象です。ウキウキするようなこともありますが、逆に落ち込んだりすることもあります。妄想と言ってもよいのかもしれません。人は、恋だけでなく、さまざまな妄想を抱いて生きています。妄想を克服したいと願っている人も多いでしょう。じつは、伝統芸、能では、妄想が主題となっていて、最後はその克服で幕を閉じます。このストーリー展開の背景には、仏教の教えが潜んでいます。能の大成者、世阿弥は奈良の興福寺(こうふくじ)の庇護を受けていました。興福寺で学ばれていた仏教は、人の心を探る教えです。中に「虚妄分(こもうふん)別(べつ)」というキーワードがあります。「不自然な妄想」という意味です。「人は妄想とともに生きる動物である」と教えているのです。「虚妄分別」は、そこから抜け出す道も伝えてくれます。能は、それを舞台で表現しました。教えは、インドで始まり、中国を経て、日本に伝わりました。能だけでなく、現代の作家、森鴎外や三島由紀夫にも影響を与えました。妄想を説く教説に魅了されたのです。仏教には、堅苦しい・古臭いイメージがありますが、現代人の恋の悩みにも答えを与えてくれそうです。
仏教学部: インド・チベット仏教分野教員