読書が孤独な営為でなかった明治時代へ
明治初期の日本に行ってみたいです。私の専門は日本近代文学で、今はとくに明治期の政治小説に関心を持っています。文学史では、政治小説とは、自由民権運動にともなって生まれた作品群を指します。それらの多くは、大衆に自由民権思想を説くことを目的に執筆されました。漢文訓読体の政論を読むことが難しい庶民にとって、ルビが付され、波瀾万丈なストーリーを持つ政治小説は、政治という未知の世界へと開かれた扉のような意味を持っていたのではないでしょうか。
大衆と政治を繋ぐ媒体としての役割も然ることながら、興味深いのは、政治小説の受容のあり方です。徳冨蘆花の自伝的小説『思出の記』には、声の良い生徒に政治小説を朗読させ、皆で歓声を上げながら聴いた、という記述があります。政治思想の主張のために書かれ、朗読を通じて集団的に受容される文学。それは、現在の私たちが知っている文学のあり方とは大きく異なっています。
就寝前に寝室で、あるいは通勤電車に揺られながら、自分だけの密やかな楽しみとして小説の頁をめくる時間は至福の一時です。でも、タイムトラベルできるならば、文学が現在よりも公共的な性格を持ち、読書が共同体的であった時代を、覗いてみたいと思います。
文学部: 倉田容子(日本近現代文学)