文学部
必要です。生死にかかわるかも
イギリス文学の作家ジョウゼフ・コンラッド(1857年-1924年)に、「エイミー・フォースター」という短編があります。エイミーはイギリス人、夫ヤンコウはポーランド人。ある時ヤンコウが高熱を出し、謎の言葉を必死で叫びます。エイミーは、怖くなって逃げ出しました。その言葉とは・・・ポーランド語で「水」でした。お水が飲みたかっただけなんです。英語で言えばよかったのに、体がつらくて、つい母語になったんでしょう。ヤンコウはその後、家の外にはい出し、水たまりにうつぶせになって、息絶えていました。
実は、この話を書いたコンラッドは、もともとポーランド人なんです。船乗りになり、20歳を過ぎてから英語を身につけ、イギリス国籍を取って、英語で小説を書きました。つまり、英語を話さず失敗したヤンコウは、英語を使って成功したコンラッドの「ありえたかもしれない自分」なんです。コンラッドは、世界中で高く評価されてますが、一つには英語を使う人口が多く、英語で本を売る市場が大きいからでしょうね。ポーランド語で書いていたら、どうだったでしょうか。ということで質問の答えは、「必要。キャリアには絶対かかわるし、生死にもかかわるかも」です。
文学部: 川崎 明子(英米文学科、英文学と文化)