学問Q&A

好奇心の正体はなんでしょうか?

仏教学部

生きているから「好奇心」がある

「好奇心」とは、文字通り、奇なもの(ちなみに、奇とか珍は古語ではむしろ、すぐれている意味ね。古文のポイント!)、めずらしいもの、知らないものに興味を抱く心のこと。と言ってしまうと、なんにも興味ねーよ、関係ねーよ、と思う人もいるかもしれないけれど、そのこと自体、自分のまわりのものごと、できごとを「興味ない」「関係ない」というように見ているわけで、どこまでいっても生きている限り無関係などあり得ない。

めずらしいもの(奇)でなくても、強い興味(好)でなくても、ほんのちょっとでも、自分が、自分以外のものに向きあう、あるいは、自分自身に向きあう、その自分自身の心や体の動きの動機、理由に名前をつけたのが「好奇心」ということになる。

たとえば、禅の教えでは、坐禅してその結果何かが得られるのではなく、坐禅という自分自身の実践、ただ座ってじっとしていることが自分が生きているあかしとする。生きているから坐禅をする。坐禅をするから生きている。生きているから好奇心がある。好奇心があるから生きている。坐禅も、好奇心も、自分自身の問題。自分のウンチは他人がトイレで出せないのと同じで、自分の好奇心は自分で起こし、自分で応えていかなければならないのです。

仏教学部: 熊本 英人(曹洞宗学)

おすすめ参考文献

禅問答入門
石井 清純(著)KADOKAWA/角川学芸出版(刊)

禅問答はちんぷんかんぷんなのではない。言葉で表現できないことを言葉で表現するとは?
禅の教えを分かりやすく説いた本。

迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教
ネルケ 無方(著)新潮社(刊)

日本の曹洞宗のお坊さんになったドイツ人からみた坐禅、修行、日本仏教の実態。
禅について、仏教について知り、自分自身について考えるためのヒント。

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